ミルク感たっぷりのチョコレイト

ミルク缶とチョコレイトの別館ですよ

100まんねんらぶないぬ

今日でわたしのいぬが物理的に見えなくなって三年が経つ。よくある表現として「虹の橋をわたる」というのがあるけれど、いぬの思い出がわたしの中に散らばりすぎてとても虹の橋を渡ったとは思えないのでこんな風にいうね。

 

いぬはわたしが小学生のときにやってきた。当たり前だけどちびで、たぬきみたいな顔をしていた。ミニチュアダックスなんだけどワイヤーとロングの合いの子すぎてワイヤーでもロングでもない毛並みだったうえに、鼻が平均より短かったせいだ。

 

ちびのいぬは肉球がぷにぷにだったけど、散歩に行くにつれカチカチになった。初めての散歩のことをまだ覚えてるけど、めちゃくちゃ怯えてぜんぜん動かなかったのに、すぐにいぬらしく散歩が大好きになった。前述したように毛並みがめちゃくちゃで鼻が短かったので道端で「それ何犬?」とよく聞かれて答えては驚かれてた。そんないぬのめちゃくちゃな毛並みがわたしはめちゃくちゃすきだった。

 

いぬはわたしの部屋と廊下の境目でよく寝ていた。ドアがしまってるときはドアの前で転がっていて、開けるとぶつかってあぶなかった。なんでそんなところにいるんだろう、といつも思ってたけど、わたしのことが好きだったのかもしれない。わたしはいぬが好きだ。

 

わたしはいぬの夜ご飯の係だった。わたしが食べ終えたあとにいつもご飯をやる決まりで、どうやって判断してるのかわからないけど、わたしがご飯を食べ終えるといつもわたしの座ってるイスに体当たりして、キュンキュン鳴いて催促してきた。「うるさ〜!!!」と口喧嘩をしながら餌をあげていた。

 

いぬは一度いなくなったことがある。いぬは脱走の達人で、ドアの隙間から弾丸のように飛び出していってしまった。いつもはいぬらしくちゃんと帰ってくるのにそのときはなかなか帰ってこなくて、張り紙などをして必死で探した。真相は近所の飲食店の人が捕まえていたのだった。
なぜ捕まえていたという過激な表現してるのかというと、いぬが人なつこいから看板犬にしようとしたらしいが、飼育してみると懐かなくなったので返すわ〜という経緯があるからだ。キレそう。いまだにはらわたが煮えくりかえりそうなくらいむかつく。迎えにいくといぬは散歩に行くよといったときよりも激しくわたしに飛びついてきた。

 

こんなことがあったものだから、次にいぬが脱走したときはそりゃもう必死で追いかけた。追いかけたって追いつけるわけがない。逃げる時のいぬはマッハなのだ。その結果ミラクル大回転をかまし、わたしは前歯を失ったのだが、この話は長くなるのでぜひ鳥貴族などで聞いてほしい。

 

いぬの話に戻る。いやずっといぬの話だけど。

いぬの具合が悪くなったのは年が明けてからだった。すこしずつ食欲がなくなった。散歩は相変わらずはしゃいでいたので、歳のせいかなあと話していた。たぶん、家族全員しっかり考えないようにはしてたけど、この時点でその予感はあったと思う。

 

最初はドッグフードをふやかすなり野菜を混ぜたり缶詰にしたりと工夫すると食べてくれてたいぬだけど、どんどん食べる量が少なくなっていく。一月末、ついに病院に連れていった。先生はすごくいい人だった。わたしが中学生のころ職場体験をさせてくれたところでもあって、本当にいい先生なので、もう助かりませんなどとは言わなかった。ただ、そういう意味のことを長く長く話してくれた。

 

病院からかえってくると、いぬは極端に弱ってしまった。昨日まではしゃいでいた散歩も行けなくなった。注射や検査がこたえたのかもしれない。それにしたってあんまりな弱り方だった。病院なんか連れて行かなきゃよかった。連れていかなくても後悔しただろうけど。

 

当時、わたしはダークネス暗黒企業を退職したところだったので、いぬとの最後の日々をいっしょに過ごすことができた。
最後の日々、なんていうと穏やかだけど、きょう死ぬかもしれないと思いながら過ごし、あした死ぬかもしれないと思いながら眠る、そんな苦しい日々だった。

 

病院に行ったのは1月28日なので、数えてみるとたった9日しかないんだけど、この期間は本当にいろいろなことを考えたな。

 

いぬは間もなくろくすっぽ歩けなくなり、お気に入りの場所でずっと眠っていた。見るからに衰弱しているのにお気に入りの場所は変わらなくて、それがまた泣けた。いぬはときたまに痙攣した。そのたび、わたしは今までにないくらい色の濃い「死」を感じ、怯えていた。

 

そんな日々のなか、気付かされたことがある。

 

家事を終えて一息ついていると、いぬが痙攣していた。また呆然とそれを見守っているうち、ご飯のたける匂いがした。こんなときなのに、すごくいい匂いだった。たとえいぬが死んでもご飯は美味しく炊ける。信じられなかったけど、どうしようもなく現実だった。

 

冬にしてはあたたかい夕方で、窓からはやわらかい陽の光が差し込み、子供達が公園で遊ぶ声がワアワアと聞こえ、キッチンではご飯が炊けている。そんな完璧にしあわせ、みたいな空間でいぬが死にそうなのを見ているじぶん。

 

わたしはそのとき、たぶん初めて、死ぬということの端っこについて理解した。

 

死ぬということは、生きることと同じことで、ぜったいに取り返しがつかないのに、死ぬほどかなしいのに、当たり前のことなのだ。

 

現に、いぬの質量が失われてからもわたしはすくすくと生き、年々幸せの最高記録を塗り替えている。

 

「●●が死んでも世界は続いてく」という表現は、あらゆる創作物で見たことがある。この表現がわたしの心に響かなかったのは、ありきたりな表現だからではなくて、わたしの経験が足りなかったからだ。

 

痙攣するとたまに尻尾が揺れた。もういぬが以前のようにしっぽを振るのを長いこと見てなかったわたしは、痙攣だとわかっているのに嬉しくなってしまって、心が潰れそうだった。

 

3年前の今日、そうなったいぬを見つけたのは父だった。朝起きたときは息をしていたけれど、支度を済ませたら息をするのをやめていた。そのタイミングが家族が全員いるときに訪れたのはただの偶然に違いないけど、親バカなのでやさしいなと思ってしまう。

 

いぬを燃やしたのはその日のうちだった。
家族全員総出だったけど親二人は仕事どうしたんだろう?全然覚えてないや。豪華な祭壇は、うちの犬にまったく似合っていなかった。ひごろ、父の着古したパジャマやわたしの毛玉まみれの電気毛布を寝床にするいぬなのだから当たり前だ。ありがたいお言葉を聴きながら、そんなことばかり考えていた。

 

次の日、父がいぬの骨を受け取ってくれたのだけど、第一声が「●●帰ってきたで」だったので喉がつまった。それがすべてだともおもった。いぬは、虹の橋など渡っておらず、星はおろか天使にすらなっていない。うちのいぬはずっとうちにいる。

 

このころ、不思議な体験をした。
わたしは「流れ」とか「運」はそこそこ信じてるけど、幽霊の類はみたことがなかったのでいまいち信用していなかった。死んだらおわりなんて寂しいので、居たらいいなあとは思っていたけれど。

 

だけど、いぬの質量がなくなった次の日、信じられないくらいいぬの存在を感じた。寂しいから…とかではなくゾワゾワ寒気がして輪郭が見えそうな勢いだったので、さすがにあれはそうだったのではないかと思っている。
家族には「寂しいからやろ」と言われたけれど、次の日も寂しいのにそのゾワゾワな感覚はなかったので、やっぱり奴だ。いぬだ。

 

いぬが物理的にいなくなってからしばらく、自分をめちゃくちゃ責めた。いぬは、もっと幸せないぬになれたに違いないと思ったからだ。

 

だけど、ボロボロに泣きながらいぬの動画を眺めていると、いぬがわたしのことを好きだったことにどうしようもなく気づいてしまう。手を差し出したら撫でてくれと頭を擦り寄せてくる。それどころか、目があっただけでお腹を出してくる。そんないぬだった。

いぬがわたしのことを好きだったと、わたしはいぬに触れなくなってから初めて気がついた。ちゃんと撫でてあげられるうちに気づいておけばよかったけど、いまとなっては仕方がないことだ。

 

うちの家やわたしは至らないことだらけだったけれど、この至らない家に生まれたわたしが案外しあわせに生きてるように、いぬも案外しあわせだったんだと思う。

 

質量がなくなったので、いぬの写真や動画が増えることは2度とない。わたしが生きていると新しい写真や動画が増えていくのでどんどん奥に追いやられていく。

 

でも、変わらずずっと好きだな。3年たってもせかいでいちばんラブないぬだな。そんなことを思いながらアホみたいにベソベソ泣いて、明日もまた、いぬの質量のない世界をハッピーに生きていくことにする。